9月8日(20日目) いただきます





Caminosでの交流最後の日。
今日もいつも通りバスで向かう。そのバスの中。交流中に私の中で変わったこと、気がついたことはなんだったかな、と考えてみる。前よりも世界のことを知ったようなきがするけどやっぱり知らないかも。わかったような、、でも、あ、結局わからない。わからないってことがわかったような。とかもうぐるぐると頭の中で考えてみた。
そしてやっぱり折形の白い紙のことを思う。一度折ったらもう線がついてしまう。ちょっと汚れたらもう落ちない。一度きりのその瞬間を紙を通して感じること。Caminosでの時間はこれきりだ。もしまた来ることがあっても私も彼らも歳をとるし、季節も違うかもだし私も気分もみんなの気分も全部違う。今日は今日だけのものだ。
などとバスの中で考えていた。

Caminosに到着、いつものようにみんなにハグで挨拶。心なしかいつもよりも強く、長くハグをしてくれる。

今日、お昼にアサードをしてくれることになっていたので午前中の最後の折形の時間に粉包みをした。アサードに使う塩、肉にかけて食べるチミチュリ用の粉。他、私が日本から持ってきた山椒と七味をお披露目。既に山椒の包みは他のクラスでやっていたので今日はよろずの粉包みをすることにした。粉ものであればいろいろ使える包み。まず一緒に折ってみる。少々形は違うけどみんな完成。折ったものに何を入れたいかきいてみると…

チミチュリが大人気、その他塩、マテ、あとは砂糖を入れたいといった人が1人。


次は最初に入れたいと思った粉と違うものをイメージしてもらった。それぞれハーブや小麦粉などいろんな意見が出たところで、


さっき折ったよろずの粉包みをもう一度折ってもらった。今度は私は何も教えない。


思い出しながら折ったり、覚えている人に教えてもらったりしながら折る。

「自由に折る」これは最後まで私がしなかったこと。これを最終日にやるべきかどうか、直前まで悩んでいた。でもやっぱりそれは私から言いたくなかった。だから一度やってみたもを思い出しながら間違ってもいいから折ってみよう。そうゆうことにした。折形は門外不出とされた時代もあったそうでその話を思い出しつつそんな試みに至る。

最後に完成した粉包みにはそれぞれ何をいれるか聞きながら並べた。オレガノと塩、やっぱりチミチュリが人気。形は完璧に覚えている人もいるし途中から違う折りになってる人もいるし中にはクリスタルのような形になっている人、「こうゆう包み、他にありそう…」という形を作りだした人もいた。形の豊富さが私にはとても愛おしく思えた。



次はアサードのお肉のために折る、ということで大きめの紙を用意して数人で1枚折ってみた。よろずの粉包みに塩とチミチュリを、唐辛子の包みに七味、山椒の包みに山椒をいれた。全部で4つ。



中庭に集まってアサードのはじまり。先ほど折った粉の包みの紹介と「いただきます」という言葉の紹介。



食べたり歌ったりの楽しい時間。天気がちょっとあやしくて雨がぱらついたそうだが「雨が降らないように」と何人かで相談して地面に塩をまいたそうだ。すると雨が止んだらしい。私がその場に立ち会ってないけど折形の研修で最初の日に塩でお清めをしたのを思い出した。塩にはやはり何かしらの力があるのかもしれない…。




写真をアップしていてまたお腹が減る。また食べたい。

けどこの時にお腹に入っお肉は当然この時だけだだし、この時集まったみんなで食べるのもこの時だけ。いつも端っこでイヤホンをしながらドラムスティックを持っていた彼がイヤホンを外してみんなの前にきてドラムを叩いたのもこの時だけ。

今度があるなら、その時は違う動物の違うお肉だし違う場所かもしれないし違う人も一緒かもしれないしこの日にいた人が来れないかもしれない。

違うお肉であっても食べたいし、言葉が通じない私達の間で偶然だけど妙に通じたりするあの瞬間も体験したいし、あの時のドラムをもう一度聞きたい。

まったく同じということは絶対起こらない。でも、折形の中で“事が重なりますように”という意味を込めて紙を重ねることとか、折形を結ぶ水引で両輪結びをする気持ちが実感としてとやっと自分に伝わってきた気がした。




段々と中庭のツタの葉が芽吹いてきた。全く葉がない時からここにいるので春が近づいているのことに気がつく。こちらで私がもらった “こと葉” も覚えなくては。


こちらで覚えたこと葉ひとつ“ conejo ”。「コネコ」と発音するがネコじゃなくてうさぎのことだ。荷造りを手伝ってくれたAnaが“うさぎのきな粉包み”をふわっとさせたまま袋にいれてくれた。結び目がこれまたうさぎのよう。“ conejito ”で「うさぎちゃん」という意味になるらしい。