新たに4つのかいしきを習う。まずは長寿の象徴である鶴と亀のかいしき。この2つは比較的新しい形。
3つ目は立体的なかいしきは線対称がポイントとなるもの。ころころしたものを置くのに適している。石ころなどにもよさそう。4つ目は黒文字(お菓子を食べるときの爪楊枝のようなもの)のかいしき。
つつみ
語源は“つつしむ” “身”
実体を覆う。穢れを入れない、移さない。
白について
白は緊張する色であり、清浄な色であり、エネルギーのある色。
心付け
2日目の今日、長田さんに聞いてみたい話があった。“心付け”という言葉について。前回教えて頂いた略式の紙幣包みなどがまさにその心付けに使うものだが時々耳にする“心ばかり”という言葉と合わせてきいてみた。心付けを“心”を“付ける”と分けてみるとなんだかかわいらしいものに思えたので私は気になっていた。心付けはちょっとした紙幣を指すので海外でいえばチップのようなものもそれにふくまれるのではないかとのこと。心ばかりとは粗品のこと。いずれも“ほんのちょっとだけど”とか“ささやかだけど”という“小さなありがとう”の気持ちのことだ。ちなみに折形で包んだものは基本的に直接手渡しで口上と共に送る。なのであえて紙などに“ありがとう”とか“心ばかり”という文字などは必要ない。包まれていることと形がその言葉に優るものといってもいい。
山で拾った自然物
初めて長田さんに私がつくった標本をみてもらった。標本には私が山で拾ってきた木の実、甲虫の羽、石など。長田さんは一緒になってそれらを愛でてくれた。そしてあるヒントをくれた。私が地面(地球の表面)から拾い上げたものを同じ世界の他の誰かにみてもらうことは“地球が生み出したものに世界の人が気がつくこと”に繋がるのではないかということ。
正直、私は自然というものに対して初めから感謝とかそういった気持ちはない。どちらかと言えば私が一方的に自然の中からもらうことがほとんど。はじめは何かを拾ってくることや採ってくることに抵抗があったあが、徐々にその抵抗よりも好奇心が強くなってった。そのうち何かを得るだけではなんだかバランスが悪いような気がした。そう感じ始めたころ、山に残る自分の足跡が気になるようになった。得た分、私はただただ足跡を残している。山からすれば足跡なんて全然うれしくないかもしれないが、足跡ほどのほんの微かなことをなにか形にできないか、そんなこをを考えていた。それは“感謝”というものには程遠いかもしれないが折形を学ぶなかでその辺りの考えがウロウロとし始めていた。
感謝のようなものをまだその言葉だけに収めなくてもよくてもっと輪郭が曖昧なもののままにしておくことにする。
その私のウロウロ、ザワザワしたあやふやな心に対して、折形のキリッとした静かな時間を体験していく。
3つ目は立体的なかいしきは線対称がポイントとなるもの。ころころしたものを置くのに適している。石ころなどにもよさそう。4つ目は黒文字(お菓子を食べるときの爪楊枝のようなもの)のかいしき。
つつみ
語源は“つつしむ” “身”
実体を覆う。穢れを入れない、移さない。
白について
白は緊張する色であり、清浄な色であり、エネルギーのある色。
心付け
2日目の今日、長田さんに聞いてみたい話があった。“心付け”という言葉について。前回教えて頂いた略式の紙幣包みなどがまさにその心付けに使うものだが時々耳にする“心ばかり”という言葉と合わせてきいてみた。心付けを“心”を“付ける”と分けてみるとなんだかかわいらしいものに思えたので私は気になっていた。心付けはちょっとした紙幣を指すので海外でいえばチップのようなものもそれにふくまれるのではないかとのこと。心ばかりとは粗品のこと。いずれも“ほんのちょっとだけど”とか“ささやかだけど”という“小さなありがとう”の気持ちのことだ。ちなみに折形で包んだものは基本的に直接手渡しで口上と共に送る。なのであえて紙などに“ありがとう”とか“心ばかり”という文字などは必要ない。包まれていることと形がその言葉に優るものといってもいい。
山で拾った自然物
初めて長田さんに私がつくった標本をみてもらった。標本には私が山で拾ってきた木の実、甲虫の羽、石など。長田さんは一緒になってそれらを愛でてくれた。そしてあるヒントをくれた。私が地面(地球の表面)から拾い上げたものを同じ世界の他の誰かにみてもらうことは“地球が生み出したものに世界の人が気がつくこと”に繋がるのではないかということ。
正直、私は自然というものに対して初めから感謝とかそういった気持ちはない。どちらかと言えば私が一方的に自然の中からもらうことがほとんど。はじめは何かを拾ってくることや採ってくることに抵抗があったあが、徐々にその抵抗よりも好奇心が強くなってった。そのうち何かを得るだけではなんだかバランスが悪いような気がした。そう感じ始めたころ、山に残る自分の足跡が気になるようになった。得た分、私はただただ足跡を残している。山からすれば足跡なんて全然うれしくないかもしれないが、足跡ほどのほんの微かなことをなにか形にできないか、そんなこをを考えていた。それは“感謝”というものには程遠いかもしれないが折形を学ぶなかでその辺りの考えがウロウロとし始めていた。
感謝のようなものをまだその言葉だけに収めなくてもよくてもっと輪郭が曖昧なもののままにしておくことにする。
その私のウロウロ、ザワザワしたあやふやな心に対して、折形のキリッとした静かな時間を体験していく。